心がけ

10年位前の某Y新聞を読んでおりました

投書欄に女性の方が

「昔、近所のおばあちゃんに聞いた『受けた恩は石に刻め、

かけた情けは水に流せ』の精神で・・・」と書いておられました

すごくいい言葉だと思います

僕もこの言葉を肝に銘じて日々精進していきたいと思います
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国会中継

この国会中継は僕も見ていました

下手なドラマより面白い、といっては失礼ですが

この間の石原慎太郎氏の時といい

中山成彬氏といい

ある種タブーにバンバン切り込んでいかれます

個人的には胸のつかえがとれたかんじです


ねずきちのひとりごと。より

以下は、日心会MLで紹介されたお話です。
拡散のため、転載します。

==========
皆さんは、「対人地雷」という名の兵器を耳にされた事があると思います。
生身の人間を標的に開発され、世界各地の戦場で使われています。

この対人地雷の目的は、敵兵を一撃で吹き飛ばす事ではなく、あえて足や腕だけをふっ飛ばし、瀕死の重傷に留めておくことです。

自分のすぐとなりで、突然足や腕を吹き飛ばされ、断末魔の叫びをあげながら転げまわって苦しみもがく味方を見せつけられたら、戦意は無くなり、たいへんな精神的ダメージを植え付けられます。
更に、このような重症を負った兵士を後方に搬送するための人員や、手当てのための医薬品も必要になります。

また、対人地雷をばらまかれた一帯は、完全に地雷を撤去されるまで一切の土地利用が出来なくなります。
こうなると、戦争が終わった後も、その一帯は立ち入ることが出来ず、農地にも宅地にも出来ない。
つまり、戦後復興が出来なくなるのです。

そして何より、一番の犠牲者は、その土地に暮らす民間人です。
まだ幼い子供に、足や腕を一瞬で吹き飛ばされる激痛を背負わせるのは、あまりにも酷すぎる。
人間だけではありません。
人間同士の争いに貴重な野生動物も犠牲になります。

そんな「悪魔の兵器」とも呼べる対人地雷が世界中に一億個以上埋められ、それらの完全な除去には約一千年以上かかるとも言われています。

この冷酷非道な対人地雷を一刻も早く取り除くため、一人の日本人が立ち上がりました。
その人は、工事現場や建設現場で目にするブルドーザーやショベルカーを制作するメーカー、山梨日立建機(株)代表取締役、雨宮清氏です。

時は、平成6(1994)年。
雨宮氏はカンボジアを訪問します。

当時、カンボジアは長年にわたる内戦が終わって、まだ間もない頃でした。
それまでカンボジアでは、統治者が変わるたびに泥沼の内戦に陥っていましたから、世界で最も対人地雷が埋められた地域のひとつになっていたのです。

「当時は東南アジアに建設機械の輸出を行っていましたから、戦後復興を目指すカンボジアに中古の建設機械販売のチャンスがないかと思ったんですよ。
カンボジアの首都プノンペンは、当時はまだ瓦礫の山がうず高く積まれ、戦後の傷跡は否めませんでしたが、
市場には活気があり、ようやく訪れた平和を謳歌しているように見えました。」

しかし、そこで雨宮氏はカンボジアの現実を突き付けられます。
活気に満ちた市場の周りは、カンボジア中から土地を追われた大勢の避難民が集まっていました。

その中に、雨宮氏は一人の年老いた女性に目を止めます。
その女性の顔は、酷い火傷を負い、膝から下を失っていました。

現地の案内人から、それが対人地雷によるものと知らされます。
しかも、あたりを見回すと他にも足や腕を失った人々が大勢いる。

雨宮氏は、ここにいる全ての人々を助ける事が出来るわけでもない。
そんな無力感にさいなまれたまま、その場を離れました。

日本へ帰る飛行機の中で、雨宮氏は母親から言われた言葉をかみしめます。
「陰日向のない人間になりなさい。 人のためになるような人間になりなさい。」

帰国後、雨宮氏は憤然と行動を起こします。
国内外の対人地雷専門家や政府、関係機関を訪ね歩き勉強を重ねました。

そして数ヵ月後、社内に対人地雷除去機開発プロジェクトを設置しました。
当時の社員は60名。

夢は大きい、しかしそれに比例して経営リスクも大きなものです。
社内から不安の声もありましたが、そのような声に対しては、
「まだ誰も取り組んでいないこと、技術やとして何か出来ないか。それも世界の人々に感謝される素晴らしい仕事だ。」と力説します。
その気持ちが、社員とその家族に通じ、皆が協力してくれるようになりました。

しかし、地雷除去機の開発は平坦ではありません。
世界中どこに出しても恥ずかしくない自負があった油圧ショベル技術を応用するアイデアはありましたが、全く何も資料が無い手さぐりでの開発です。

例えば、茂った木や草むらの下に埋められた地雷は、木や草を刈り取る機能が必要ですし、岩場なら硬い岩に対する耐摩耗性も必要です。
また、爆発の衝撃にも耐えられなければ実用にならず、爆発時に発生する800度~1000度の高温にも耐えなければいけません。

そして開発から3年以上を経て、待望の一号機が完成しました。
さあこれを世界中に送り出そうとした時、意外な壁が立ちはだかりました。

「武器輸出三原則」です。
これに抵触するという理由で、国外への輸出に「待った」がかかってしまいました。

ここで引き下がったら、今までの努力が水の泡ですし、何より地雷に苦しめられている人々はどうなるのか。
雨宮氏は2年近く「武器輸出三原則」の適用除外措置を求め、経済産業省に通い詰めます。
そして、ついに雨宮氏は適用除外の決定を勝ち取りました。

こうして雨宮氏が先頭に立って開発した地雷除去機は、それまでの除去作業に比べて50倍以上の効率アップを達成し、それまで地雷原だった土地を農地に変えていきました。
また、雨宮氏の地雷除去機は、部品を交換するだけで種まき機などの農業用機械としても使える設計になっています。

地雷原が無くなった後も、人々の役に立つよう考えられているのは、日本の技術屋ならではの発想と現地の人々からの「農業をやりたい」という切実な声を重視した証です。

その後、カンボジアだけでなく、アフガニスタン・アンゴラ・ニカラグアなど世界中の地雷原に地雷除去機は導入され、かつては人が立ち入ることが出来なかった土地は、トウモロコシ畑・オレンジ畑・学校などに生まれ変わっています。

雨宮さんは言います。
「対人地雷埋設国の人々は、私達に「支援してくれてありがとう」と言うけれど、例えばアンゴラの若者たちの真剣さを観ていると、自分たちは支援させて頂いているという気持ちになってくる。受ける側も提供する側も心が通っているからこそ。そこに何かが生まれる。日々の仕事の中で、「させていただいている」という敬虔な気持ちになることの重要性を学んだように思いますね。」

「技術屋っていうのは、ものづくりの挑戦者だと思ってきました。しかし今、それに加えて、技術の根源はモノづくりだけではなくて、人づくりにもあることを理解しつつあります。
たとえ一人になってもやり遂げなくては、と気負っていた時期もありますが、気がつけば、家族や社員、地域の人々、政府やNPO関係者、そして地雷埋設国の人々、あらゆる人に支えられている。そして真剣になれば必ず受け止めてくれる人がいて、想いが広がっていく。それが人を育むということなんだと実感しています。」

よく、「恵まれない人に愛の手を」という言葉を耳にします。
しかし、本当の「愛の手」というのは、同情心から自分の持っているものを分ける「施し」ではなく、ましてや相手が一方的に「俺にくれ!」「私にもちょうだい!」と言ってきた際に「仕方ないなぁ」としぶしぶ差し出すものでもない。

雨宮氏に限らず、日本の技術者は自分の持つ全てを使って仕事に取り組み、物を作るだけでなく、人のつながりも作ったのです。
これは、「施し」や「仕方なく」では出来ないことです。

日本という国は、こういう人たちが大勢いる素晴らしい国なんだと改めて誇りに思います。
~~~~~~~~~

カンボジアについては、これまで何度かこのブログでも書かせていただきました。
そのなかのひとつが、
「アンコール遺跡とカンボジア」です。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-691.html

記事の中でも書いたのですが、カンボジアの国中にバラまかれた地雷は、支那製の地雷です。
そしてこれを撤去するのに貢献したのが、日本の自衛隊でした。

さらに日本は、カンボジアの平和のために、世界の要人を集めてカンボジア平和会議を開いた。
これが、昭和27年の独立後、日本がはじめて世界で独立国として認められた最初の世界会議です。

これを押し進めたのが、時の外務大臣の宇野宗佑氏で、氏はその功績によって内閣総理大臣に就任した。
けれど指三本事件で、わずか二週間で退陣に追い込まれています。

その退陣劇を仕組んだのが、カンボジアの地雷利権を侵害された中共のスパイだったという説もあります。

また、本編で紹介された地雷除去機を用いた自衛隊の撤去作業によって、カンボジアでは普通選挙が行われることになったのだけれど、その地雷撤去作業中、新左翼の辻本清美率いるピースボートが現地にやってきて、現場で命がけで働く自衛隊員を、さんざんコケにして行った。

戦後の日本は、何かが大きく間違っていたように思います。
その間違いを正すのは、しっかりと地に根を張って生きるまっとうな日本人のチカラだと思うのですが、いかがでしょうか。

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カンボジア 地雷博物館



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2012年01月31日 | 日本人の心 | トラックバック(1)件 | コメント(0)件

くっくりさんのブログ

くっくりさんの「ぼやきくっくり」を見ていましたら

ぜひ、皆様にも見ていただきたいと思い書いてます

今回の震災で識者の方々はどう見たか、が

UPされています

自分のブログに勝手にコピーしてもいいのかどうかわからず

結局みなさまにいっていただいて見ていただければと

思いましたので

お忙しいとは思いますがよろしくお願いいたします

日本、という国 5

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♪ 日本の心を伝える会メールマガジン vol.309♪
        2011/4/25(月曜日)

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┃田田┃田┃  こんにちは。
┃田田┃田┃  日本の心をつたえる会です。
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    ★☆★ もくじ ★☆★
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■□【1】現場の使命感、現場の奮闘
─◆◇──────────────────────
□■【2】携帯で接続の皆様へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 -{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}-



┌◆【1】◆ 現場の使命感、現場の奮闘 ◆
└────────────────────────

福島第一原発は、4月17日、終息に向けた工程表が示されましたが、まだまだ予断が許されない状況が続いています。

福島第1原発は巨大施設です。
震災前は、東電約1千人、協力会社4千人、計5千人が働いていました。
今の復旧作業でも300~500人が日夜奮闘しています。

なかなか終息できない状況に対して、東電パッシングが起こっています。
会社としての対応、政府としての対応に問題は多々あると思われます。

現場では、取った対応策が結果としてうまくいかなかったり、予測外の現象が起こったりして、時々刻々状況が変化します。
その状況を観測し、新たな対応策を立て、小さなトライをし、検証し、決断して、対応策を祈るような気持ちで敢行します。
現場はこの地道な作業の連続です。

福島第2原発で働いている女性社員が、Mixiで実名で訴えています。

~~~~~~~~~
大津波警報の中、夜中足もとの見えないまま、死ぬ覚悟で復旧作業を続けました。
第2原発では冷温停止に成功しました。
第1原発では、家族との連絡がつかない人達が大勢いますが、自分の命と引き替えに、復旧作業に当たっています。
皆を誇りに思います。
東電は凄く叩かれている・・・。
命がけの作業を続けているのも東電です。
どうか非難ばかりしないで下さい。
住民の皆様には不安な思いをさせて大変申し訳なく思っています。
~~~~~~~~~

●東電で40年間原発の運転に従事し、今は地方の電力会社に勤務する男性(59)は、9月には定年退職が控えていました。
しかし、事故発生を受けて会社が募集した約20人の応援派遣に志願して、3月13日、福島に向かいました。
男性は志願したことを明らかにし家族に告げました。
「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい。」

話を聞いた娘は、無事を祈ります。
「家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになりました。
行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思いました。」

男性の妻(58)は言います。
「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきました。
一番安全なものをやっているという自信があったんだと思います。
現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて。」


●ズドン。
重い爆発音が響き渡った。
3月14日、3号機が水素爆発を起こし、原子炉建屋の上部が吹き飛びます。
協力会社の社員、Nさん(47)は、隣の2号機で電源復旧作業に当たっていました。
外へ出ると3号機は鉄の骨組みがむき出しになり、コンクリートの瓦礫が散乱、灰色の煙がもうもうと青空へ立ち上っています。

「放射線を食らうぞ。避難するんだ。」と声を上げて瓦礫の上を走ります。
作業基地となっている免震重要棟まで1キロ近く、息切れしてたどり着きます。
全員の無事を確認し、同僚4人ほどと喫煙室で「やばかった」と話す仲間を見ると、たばこを持つ手が震えていました。

Nさんは、震災発生時から東電の要請に応え、同僚十数人と原発に残りました。
「被曝の危険性があることは分かっていたが、復旧には私のように原発で18年働いてきたような者が役に立つ。そう覚悟を決めた。」

水素爆発に遭遇した翌日の15日の朝、緊急退避命令により避難しましたが、また戻ると言います。
「3号機で被爆した3人の中には私の部下もいる。
皆少ない人数で頑張っている。
むろん行かなくても誰も責めないだろうが、自分がよしとは出来ない。
仲間のために私は行く。」


●放射性物質の海への流出という深刻な事態に陥った第1原発。
津波で運ばれた土砂、水素爆発で飛び散った建屋の残骸…。
3月24日には、電気設備工事会社の社員ら3人が、作業中に被曝。作業現場では白い防護服と顔を覆う全面マスクは必須で、仲間の表情はうかがえません。
携帯する線量計のアラームはいつ鳴るのか。
放射性物質という「見えない恐怖」と戦いながら、皆黙々と復旧作業が続きます。

ある30代の男性は、水素爆発後、「娘に何かあってはいけない」と、一旦家族を連れて他県に避難しました。
だが、3号機の燃料貯蔵プールへの決死の放水作業を続ける東京消防庁の隊員らがいることを知り、考えが変わりました。
「よその土地から来て体を張っている人がいる。微力だけど力にならなくては。」

そして家族を避難先に残して単身、福島県に戻りました。
「自分たちの子供のため、被害拡大を防ぎたい。
みんなが一日でも早く事態を収めたいと、同じ方向を向いている。
こんなに使命感を持って仕事をしたことはない。」


●第1原発で保守の仕事を請け負う会社に勤めるSさん(27)も、元請けの会社から打診され、「行きます」と志願しました。
5号機の冷温保持にかかわる作業でした。

「原子炉が爆発したら終わりだが、この仕事を9年続けてきた経験から、何とかなると判断した。
中には会社員として行かざるをえないと言う人もいた。
年長の作業員は、“もう死ぬのか”と青い顔をしていた。」

「誰かがやらなきゃいかんことだからやっている。
他の専門的な仕事と職種が違うだけのことだと思う。」


●同じく協力会社から復旧作業に参加している40代の男性は、本音を交えながら話します。
「生きたくなかったけれど、断れば今後の仕事はなくなる。」
「自分達しかいないと責任感を持って志願した同僚も多く、現場には団結感があった。」


●ある下請けの工事会社では、専務や社長達が作業に名乗り出ました。
若い作業員の将来を思い、盾になる決意をしたのです。
「俺たちだって簡単なケーブルの敷設作業くらいは出来る。」


●原子炉のメーカーH社のグループ企業の会議室。第1原発で作業に当たる部門の担当者が、技術管理をする社員に詰め寄りました。

「現場で危機感を共有し、難局を乗り越えよう。」
社員の生命にかかわる任務だけに、激しい応酬がありました。
そして多くの技術系社員が現場に入りました。


●第2原発で、第1原発の復旧を支援する東電の女性社員は、本社の上司に次のようにメールを打ちます。

「実家の両親は津波に押し流され、今だ行方が分かりません。
すぐに飛んでいきたい・・・。
しかし被災者である前に、東電社員として、みんな職務を全うしようと頑張っています。私達は最後まで戦います。」


●第1原発では、原子炉内の燃料の冷却機能が失われ、その復旧作業が今も続いています。
当初自衛隊のヘリコプターによる海水注入から始まって、3月19日、東京消防庁のハイパーレスキュー部隊による炉への放水作業が行われました。命がけでした。
総括隊長のTさんは言います。

「第1原発の現場では、今まで味わうことのない恐怖感を味わいました。
普通の現場では、火災の強いところを確認して、自分達の危険を排除して突入できますが、今回は、危険な場所が目に見えない恐怖と戦わざるをえませんでした。」

「指示系統は混乱していました。指示が何度も変わり、予定より長い時間、放水を続けることになりました。」

「現場で特に大事なのは撤退の判断です。
放射線量が限度を超えそうになったら、すぐ撤退できるよう、手はずを用意しました。」

「危険な現場を支えるのは、指揮官と隊員達の信頼関係です。」

「全員、生命の危険にさらされる覚悟はあります。
命令を果たそうとする意識は強いのです。」

「東電の現場社員は、死にもの狂いで頑張っています。
我々の放水作業にも、万全の対応をしてくれました。
だからこそ我々は、立ち向かうことが出来たのです。」

3月21日、任務を終えて帰京した隊員達に、石原知事は何度も言葉を詰まらせて感謝の言葉を述べました。
隊員の一人は言います。

「あの強気の知事が、涙を流して礼を言ってくれた。
上から物を言うだけの官邸と違って、我々のことを理解してくれている。
だから現場に行けるのだ。」

ちなみに閣僚の一人が放水準備中の消防隊に対して、
「言うことを聞かないと処分するぞ」と言ったたことに対して、石原知事は官邸に乗り込んで、首相に抗議していたのでした。


●大阪市消防局も、東京消防局の活動を支援しました。
一隊が原発から20Mの前身基地から800Mの指揮所までサイレンを鳴らして移動中、自分達に対してお年寄り6人ほどの住民がお辞儀をしていました。
指揮者のKさん(48)は言います。

「腰を90度まで曲げて深々とお辞儀をしてくれた。
その姿を見て、絶対にお役に立って返らなければならないと思った。」


●報道では、現場の作業員は敷地内で寝泊まりし、乾燥米や缶詰など1日2食、1.5リットルのペットボトル1本という、過酷な生活環境下にあると言います。

東電社長殿。
これは本当ですか。

現場が明日も元気よく、最大限の力を発揮し活動できるよう、食事、睡眠、風呂、着替えなどの生活環境に関し、万全の整備を図ってください。
彼等を精神面でも、積極的にバックアップしてください。
石原東京都知事のように。

(資料)産経新聞、読売新聞、時事通信、日経BPなど。



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